保科正之は寛文8年(1668)4月11日、会津藩の「藩」の方針を決め、首席家老 田中正玄(たなか まさはる)を江戸屋敷に呼んでこれを授けました。これが「家訓15カ条」です。
以来、会津藩ではこれを藩是(はんぜ)とし、こと あるときは、これをよりどころとしさまざまな決断をしました。会津藩の精神的な柱といっても良いでしょう。
尚、誰が草案を作成したかについては、諸説あるようですが、保科正之と山崎闇斎が共同で作成したのではないかと考えられています。
毎年正月、学校奉行が読み上げ、藩主も家臣も座を降り正座して拝聴した。
第1条冒頭にある「大君」はタイクンと読み、天皇ではなく将軍を意味します。
保科正之が眠る
「土津神社(はにつじんじゃ)」